『乾いた湖〜寸評』

乾いた湖


 寺山修司が脚本を書き、篠田正浩が監督した『乾いた湖』(60)で最も印象的だったのは「反抗的青春」を描いた映画の内容よりも、学生自治会委員の一人としてチョイ役出演している寺山の、カメラを睨めつけるような鋭い視線。寺山が登場するシーンは二つ。大学の自治会の今後の活動方針を決める会議の席上、お馴染みの東北訛でフランス革命について語るシーン、そして路上で学生連中が主人公の下条(三上真一郎)の品行をあげつらい、自己批判を迫るシーンにも顔を覗かせる。その時に問題の眼差しがあったのだ。
「反安保」の掛け声の渦に揉みくちゃにされ、翻弄されていく若者たちの姿は寺山の戯曲『血は立ったまま眠っている』と共通しており、ラングトン・ヒューズのニグロ詩の引用もまた寺山ならではの物。まだ映画界では無名だった寺山としてはやったりの心持ちだったはずだが、それにしてはあの険し過ぎる表情は何を意味するのか?
 それは映画という集団システムその物への疑念だったのでは? 映画もまた「反安保」に収束されてしまう学生運動と同じく「撮影」の名の元に人々を組織化する物であり、監督という絶対権力者の支配にそれは委ねられ、芝居をする事によって役者たちは本来の感情も思想を制限され、監督の意のままにからめ取られてゆくのだ。大映画会社のセットの中での演技という今まで味わった事のない経験に興奮しつつも、若き日の寺山は映画が孕む旧態さに苛立ちを隠せず、そんな感情が思わず素になってカメラの前に出てしまった、と僕は推測する。
 ともかく寺山修司を乗せた列車は、まだ走り始めたばかりであった。何処へ行くなんて寺山自身も知っちゃいなかったのだ…。(原達也)

寺山修司全シナリオ〈1〉